電気止められ腹が立って放火・パキスタン人兄弟ら逮捕 ヤード拠点にした自動車窃盗…「外国人犯罪が日常になる日本」でいいのか?移民政策を見直すべき理由

外国人問題

2025年4月22日、山梨県甲府市の東京電力の事務所で起きた火災は、外国人による放火事件だったとみられています。容疑者はスリランカ国籍の男。もともとは別の容疑(※)で逮捕されていたこの男が、「電気を止められて腹が立った」という信じがたい理由で火を放ったと供述していることが報じられました。
※参考:Yahoo!ニュース日テレNEWS

また、4月24日にはヤードを拠点に自動車の窃盗をしていたグループのメンバーとみられるパキスタン人の兄弟とそのグループ5人が逮捕されました。

一企業の判断に対し、理性ではなく暴力で「報復」しようとするこの行為――我々日本人の感覚からすれば、あまりに非常識で、理屈が通らない事件です。しかしこのような「理不尽な犯罪」が、今、日本社会で着実に増加しています。その背景には、拙速な移民政策と、「共生」という名の幻想があります。

外国人犯罪が“当たり前”になる日常

「人口が増えれば犯罪も増える」。それは、単純な確率論で言えば当然です。しかし問題は「どのような背景を持つ人を増やしているか」にあります。

現在、日本で増加している外国人の多くは、技能実習生や特定技能、留学生、あるいは難民申請中の人たちです。こうした人々の多くは、母国で貧困層に属し、十分な教育や法令意識を持たずに来日しているケースが少なくありません。文化・宗教・価値観の違いだけでなく、彼らの生活圏での「正義」や「ルール」は、我々のそれと大きく異なります。

例えば、「電気が止まったら腹いせに火をつける」「生活保護を申請すればもらえると聞いたから来た」「落ちている自転車を乗っても問題ない」というような発想は、我々からすれば到底理解できるものではありません。しかし、これが現実として、日本の町中で起きているのです。

外国人犯罪と共生するには何が必要か?

筆者自身も、何気なく話しかけてきた外国人に対して、善意で対応した結果、違法薬物を売りつけられそうになった経験があります。フレンドリーに見える人ほど、裏で何を考えているのか分からない。その警戒心は、今の日本社会においてはもはや“偏見”ではなく“自己防衛”なのです。

ここで、現実的に私たちがとるべき「3つの態度」について提案します。

①まず疑うことから始める

外国人=悪ではない。しかし「見た目が良い人そう」「愛想が良いから問題ない」と思って接することが危険であるという意識を持つことが必要です。特に、子どもを狙った性犯罪や、SNSを通じた薬物取引など、警戒すべき犯罪は多岐にわたります。警察庁のデータでも、外国人による強制わいせつや児童買春の件数が年々増加しているのは事実です。

②関わらないという選択肢

「触らぬ神に祟りなし」。一見冷たい態度のように思えるかもしれませんが、自分や家族の身を守るうえでは有効な方法です。文化が違い、価値観が異なる相手との無理な関わり合いは、トラブルの元になります。近づかない・関わらないという選択肢を持つことは、決して差別ではなく、自衛です。

③ルールを守らせる勇気

ルールを破っている外国人を見かけたら、見て見ぬふりをせず、その場で注意する勇気が必要です。もちろん、身の危険を感じる場面では無理に対応せず、即座に警察に通報することが最優先ですが、「日本はルールを守る国だ」ということを、彼らに対して示し続ける姿勢が重要です。

「共生社会」という言葉の危うさ

「共生社会」という言葉には、どこか耳障りの良さがあります。しかし、それは理想論でしかありません。宗教も文化も価値観も異なる人々が、互いに完全に理解しあい、衝突なく生きる社会――それは世界中どこを見渡しても実現していません。

むしろ、多文化国家である欧州諸国では、治安の悪化、移民排斥運動、宗教的対立など、深刻な社会的分断が進行しています。

今こそ「選別と制限」の移民政策へ転換を

移民政策を全面否定することは現実的ではないにせよ、少なくとも以下のような「条件付き」の受け入れ制度へと舵を切るべきです。

  • 犯罪歴がないことを証明する書類の提出を義務化
  • 日本語能力試験N2以上の取得
  • 入国前に日本法制度や文化への適応テスト
  • 雇用主による監督義務の強化
  • 一定期間ごとに適応度評価を実施、違反時は強制送還

今のまま「人手不足解消のために外国人を受け入れる」という短期的発想では、必ずや日本社会は将来的に大きなツケを払うことになります。

【まとめ】日本人の常識を守る社会であるために

外国人との関わりに慣れていないと、ルール無視の行為に気づいても「面倒だから」「怖いから」と見て見ぬふりをしてしまいがちです。しかし、その小さな“放置”が、やがて重大な事件を招くのです。今回の放火事件のような「くだらない理由による暴力」が二度と繰り返されないためにも、一人ひとりが意識を変える必要があります。

移民政策の見直しは、差別ではなく“責任ある社会づくり”です。

安全で秩序ある日本を次世代に残すために、私たちは「優しさ」ではなく「現実」と向き合う時期に来ているのではないでしょうか。