生活保護って…ウナギは俺も食べたい。

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憲法25条には「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」とある。そうなると生活保護は必要なものだ。だが「生活保護」と聞くとあまり良いイメージがない。むしろネガティブなことばかり思い浮かぶ。軽蔑しているが自分の周りにも不正受給者「らしき」人間はいる。断定はしていない。

その反面、本当に必要としている人もいるには事実。

しかし、ニュースになるのは生活保護をもらってギャンブル、働きたくないという理由だけで受給、生活保護費で贅沢といったニュースが多い。メディア操作なのだろうか、そもそも本当に必要としている人は受給者の何%くらいなのだろうか?

先日もこんなニュースを読んだ。頭が悪いと思った。

京都で生存権を求めるデモ 「たまにはウナギも食べたいぞ」:朝日新聞デジタル
「生存権を求める京都デモ」が1日、京都市であった。生活保護の利用者と支援者100人が路上から訴えた。「たまには旅行に行きたいぞ」「たまにはオシャレもしたいぞ」「たまにはウナギも食べたいぞ」 憲法25…

こんなことしたら今まで以上に「本当に」生活保護を必要としている人が肩身の狭い思いをするだろう。今回は生活保護を受給している人達より、このデモを扇動した人間に問題がある。ネットで炎上することなんて簡単に想像できるのではないか。きっと思考回路が時代と合っていない人達が言い出しっぺに違いない。

「たまには旅行に行きたいぞ」
「たまにはオシャレもしたいぞ」
「たまにはウナギも食べたいぞ」

知らねぇよ(笑) 俺だって旅行行きたいわ。と思ってしまう。なぜこんなこと言わせたのだろう。本当にこれらの言葉が生活保護受給者の声なのだろうか?そもそもオシャレなんてのは頭とセンスがあればお金は必要ない。この文言だけ切り取って言うのは良くないが、見てて腹立たしい。このデモを扇動した人間が。

そしてネットに拡散されているこの画像も実に奇妙である。

切り取って物事言うのは良くないが、そこそこ良い値段のものである。当たり前の価格では買えない人も多いだろう。で?それがどうしたと思う。もしかしたら単にやりくりが下手なのでは?とも思ってしまう。

貧乏自慢をするつもりは無いが、スペインに住んでいた頃本当に貧乏でもっと頭を使って料理していた記憶がある。18歳で上京した時だってそうだった。本当にその肉でないといけないのだろうか?安いものに代替えしてその分、工夫をする等考えないのだろうか?

こういう人達がいる反面、この本には本当に生活保護が必要な人達のことも書いてある。

なるほどなと思った。著者の実体験含め、貧困の実態が書いてある。たしかにそういう状況なら仕方ないよねという気持ちになる。むしろ申請すべきとさえ思うケースの話もあった。この本をレビューするなんてことはしないが、アンチ生活保護の人こそ読んだ方がいい本なのかもしれない。

つまり、申請を受理した行政側がもう少しちゃんと調べろよということなのだが、人手不足でそうもいかないのが現状なんだろうな…申請に対し、1件1件すみずみまで調査するのは困難に違いない。そして困窮して申請する側からしたら、そこまで時間をかけられても困る。そうなると調査がずさんになるのは自然な流れとなる。だからこそザルになってしまい不正受給が起こるのだ。

なので、もらいたい人はもらえば?と、この問題から目を背けるのが1番だという結論である。もともと解決できる問題ではないし、何よりも、見なくていいものを見て腹を立てていても仕方がない。世の中で1番愚かなことが見なくていいものを見ることだと思っている。ただ、不正受給するような人間は関わって欲しくない。