クルド人強制送還開始――同情だけで語ってはいけない現実

外国人問題

続々とクルド人の強制送還が始まりました。一方で、メディアの多くは「子供がかわいそう」「家族が離ればなれになる」といった情緒的な視点に偏りがちです。もちろん、クルド人のすべてが悪いとは誰も考えていません。

しかし、問題の本質は「不法滞在」という違法行為にあります。どれほど子供に同情すべき事情があったとしても、法律を無視して滞在し続ければ、強制送還は避けられません。


「クルド人みんなが悪いわけではない」その通り、しかし…

強制送還に反対する声の中で、よく聞かれるのが「クルド人みんなが悪いと思わないでほしい」という主張です。これはその通りです。日本に住むクルド人のすべてが法律を破っているわけではありません。真面目に働き、日本社会に溶け込もうとしている人々も存在します。

しかし、「みんなが悪いわけではない」と言うのであれば、同国人の中で問題行動を起こす者を抑制し、注意する努力が必要です。自国民同士で秩序を守ろうとしないまま、被害者意識だけを強調するのは説得力に欠けます。

日本人からすれば、「自分たちでさえ止められない問題を、なぜ日本社会が受け入れなければならないのか」という疑問が湧くのです。


「僕たちかわいそうなクルド人です」という言葉の裏側

一部の報道によると、子供たちは「僕たちかわいそうなクルド人です」と大人から教え込まれているようです。万引きやトラブルで日本人に叱責されたとき、同情を引く言葉を使うことで責任を回避する。このような“教育”が実際に行われているという証言もあります。

人の同情心につけ込むのは、決して日本だけに限られた話ではありません。世界のあらゆる場所で、弱者を装って援助を引き出す手口は存在します

日本人は特に「困っている人を助けたい」という意識が強い民族です。その優しさを利用されている可能性を、私たちは冷静に見抜く必要があります。


強制送還には意味がある

ここで忘れてはいけないのは、強制送還は差別ではなく、単なる法の執行だということです。不法滞在はれっきとした違法行為です。入管法に基づき、在留資格がなければ国外退去となるのは当然のことです。

しかし、近年は「不法滞在」という言葉を「非正規滞在」と言い換える風潮があります。一見、柔らかい表現ですが、これが誤解を招いています。「悪いことはしていないのに追い出される」というイメージを植え付け、日本社会を“加害者”に見せようとするのです。

もし法を守らなくても「かわいそうだから仕方ない」と認められるのであれば、秩序は崩壊します。法を順守する多くの外国人や日本人にとっても、不公平感だけが残ります。強制送還は決して冷酷な処分ではなく、法と秩序を守るために必要な措置なのです。


日本人が直面する現実

埼玉県川口市など、クルド人が多く居住する地域では、すでに日本人住民との摩擦が顕在化しています。路上での集会、騒音、治安悪化に対する不安の声は後を絶ちません。行政も対策に苦慮しているのが現実です。

一部の子供には同情すべき事情があるでしょう。しかし、そこで情に流されて「不法滞在を容認せよ」という声が大きくなると、日本社会全体がリスクを背負うことになります。安全と秩序を守るために、厳格なルール運用は避けられません。


メディアの報じ方への違和感

日本のメディアは「かわいそうな子供」という物語を好んで取り上げます。しかし、その裏にある「なぜ強制送還になるのか」という肝心な部分はほとんど報じられません

不法滞在に至る経緯、難民認定の審査結果、地域住民との摩擦など、客観的な事実に触れることは少なく、視聴者の感情に訴える映像や証言ばかりが流れます。これでは問題の本質を理解することはできません。報道を受け取る私たちも「何が省略されているのか」を冷静に考える必要があります。


まとめ――情ではなく法で語るべき問題

クルド人の強制送還問題は、「かわいそうかどうか」という情の問題ではなく、「法に基づいた行為かどうか」という点で語るべきです。不法滞在を放置すれば、日本の入管制度は形骸化し、治安悪化や不公平感を招くでしょう。

「みんなが悪いわけではない」という声は理解できます。しかし本当にその言葉を信じてほしいのであれば、同国人の中で不法行為を抑制する努力を示すべきです。同情を誘うばかりでは、かえって日本社会の信頼を失いかねません。

強制送還は冷酷でも差別でもなく、法の執行にすぎません。守られるべきは、まず日本の法と秩序なのです。